■フタバの歴史・第4話■フタバの歴史・第4話 (2004.07.26の日記より)当時、僕は塾で使うB4の紙などの値段交渉も真面目にやっていました。『10銭でも20銭でも安くならないか?』という事を真面目に。 こういう交渉の前提は『キチンと支払日に支払いをする。』どんな商売でも同じルールだと思います。 ところが彼(経営者)は言い放ってしまった。僕の見ている目の前で… 『今日はもうお金がない。来月にしてくれ。』 さんざん好き放題に金を使っていて、肝心な支払日の金がない。 支払いの延期をお願いする気持ちがあれば、当日にこんな言い方で業者を追い返したりしない。 『今日はもうお金がない。来月にしてくれ。』を聞いてあきれ果てた。 そして塾を辞める決意をした。 この人とは、もう一緒に仕事ができない… 奢れる者は久しからず… 『僕はこの塾を辞めます。』 この言葉を発して、7月末であの塾を辞めた。 僕が辞めてから3年程で規模が30人くらいまで落ち込んでいたあの塾は潰れた。 (昭和59年3月ころだったと思う。) 塾を作るのは簡単だ。でも問題は作るより維持だ。如何に維持させるかだ… 絵に描いたような発展、転落、閉塾だった。 昭和56年7月末で僕はあの塾を辞めた。たった5ヶ月の講師時代。 そして8月からフタバが始まった。開塾を9月としてあるのは準備段階の8月を除いたからだ。 『フタバ号』は動き出した。しかし…続く・… |